2014/02/23

パラレルな知性(鷲田清一)

「難しいことは分からない」と専門家へ一任してしまう、いわゆる専門家主義が、市民の知的体力をますます殺ぎ、市民を受動的な存在にしてしまう。

しかし、福島の原発事故を代表に、専門家への不信感が募っている。高度な知識や技術を身に付けた専門家でも、専門外のことについては全くの素人で、問題の全体像を把握できるとは限らない。(むしろ把握できていないことがほとんどでは)

専門家には、専門性を棚上げして市民と対話し、一緒に考える姿勢が求められる。また、市民の側としても、自発的に「どのような環境で暮らしたいか」「どのように老いていきたいか」を考えていける知性(教養)が必要である。

しかし農業、食事、医療、介護…あらゆる仕事が細分化され、サービスとなり、全体を見渡すことが難しい今日の社会システムの中で、それぞれ異なる文化で生きる専門家と市民がどのように協同できるか。

専門家、市民それぞれに知性を養い、高めていかなければならない。

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そこに暮らす人が、自分たちでコミュニティーを作り上げることができる地域づくり。外注して済んでしまうことが多いこの世の中で、自分たちの手で支え合うことのできる人間関係づくり。

医療介護分野で叫ばれる「地域包括ケア」が目指すべきなのは、まさにここであるはず。ただ形だけの、24時間切れ間ないサービス提供ではなく、皆が一緒に暮らしを作り上げること。そこをしっかり見据えないと、「ちいきほうかつけあ?なにそれ? 」という市民と、躍起になる専門家との間に解離が生じかねない。

暮らしの主体は、市民であり、わたしたち全員。皆が各専門・担当の枠を越え、目の前のことだけでなく広く全体を見渡し、一人の市民として、自分のこととして、わたしたちの暮らしをどうしていきたいかを考えたい。

そのための知性を、もっともっと養いたい。